学 童 疎 開
アメリカの空爆が九州から始まり、次第に日本全土に広がっていきました。爆撃は都市の中心部に攻撃されます。

そこで、政府は子どもたちを守るために東京など大きな町の子どもたちを爆撃の心配が少ない地方に移すことにしました。これが、学童疎開です。

田舎や親せきや知り合いのところへ行くことを「縁故疎開」といい、親せきや知り合いのいない子どもたちが、学校単位でまとまって地方へ疎開することを「集団学童疎開」といいました。

伊興小学校でも、1945(昭和20)年5月に3年生から6年生までの児童56名が先生に連れられて長野県上水内郡水内村に疎開しました。源真寺と安養寺の2つの寺に別れて生活し、その地方の学校で地方の子どもたちと一緒に勉強しました。

両親と離れて暮らす上、食べ物もたいへん少なくてこどもたちは毎日お腹をすかせていました。「早く東京に帰りたい」と思っていたそうです。