昭和初期の伊興小のようす
当時はドッジボールが大変盛んで、伊興小でも全国大会出場を目標に猛練習をしていました。西新井小や本木小、そして日暮里小まで試合にでかけました。その努力の結果、1929(昭和4)年には、伊興小は南足立郡大会で準優勝をし、全国大会に出場しました。

その頃、伊興町の人口も増えて、児童数も300名になりました。1933(昭和8)年には8学級となり、2学年で1クラスの複式学級ではなく、1学年ごとのクラスになりました。現在とは違い、男子と女子は別のクラスで勉強するのが普通でした。人数の都合で男女が一緒になるクラスは男女組と呼ばれたくらいです。

国語の教科書は「サクラ読本(とくほん)」といわれて有名です。勉強の科目は、修身、国語・習字、国史・地理、理科、算術、体操・武道、図画・手工、唱歌、裁縫などでした。

子どもたちの服装は、ほとんどかすりの着物で式の時は、はかまを履きました。はかまが履けるのはお金持ちだけでした。足元は下駄で、雨が降るとはだしで学校へ行き、校庭にある井戸ばたで足を洗って教室に入ります。給食もないので、昼にはみんな家へ走って帰りご飯を食べて戻りました。家が遠い子は、口に入ったご飯を噛みながら走ってくるような状態でした。
ドッチボール全国大会出場 サクラ読本