生徒数の増加で校舎の増改築続く
昭和20年代終わりの校舎 昭和30年代はじめの全校風景。垣根はひさかきだった

それまでは畑を営む農家が多い地域でしたが、戦災復興で公営住宅が伊興の町に建設されるようになり、町の人口は年々増加していきました。そのため児童数も、年々増えていきます。1年のうちにクラスが1クラスから2クラスに変わるほどでした。

そこで、昭和20年代は戦時中に青年学校で使用されていた八興寮を修理して教室を増やして対応しました。昭和30年代に入ると、新しい校舎の建設が始まります。

この年に竣工した工事は約5年間続きます。昭和32年には6教室増築と校地買収368坪拡張、昭和34年には校地買収831坪拡張、昭和35年には4教室の増築、同じ年に八興寮の取り壊しが完了し、拡張工事は終わりました。

昭和33年当時は、17学級で児童数は700〜800人でしたが、昭和34年には19学級、昭和35年には20学級、昭和37年位は22学級と年単位で学級数が増えていったという記録が残っています。