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今日は「校章」について。
4月に一度掲載していますが、その由来は以下のとおりです。
校章の由来
鹿浜の“鹿”から動物の“鹿”の角をイメージし、菜の花は成長する姿を描きました。菜の花はつぼみが少しずつ咲いていく様子を三段階に分けました。鹿浜は昔、水が豊富だと知り“中”の字を水色で表現しました。
平成26年に行われた第一次選考(応募157点)と最終選考実施の結果、平成26年12月4日に決定されました。
ちなみに「鹿浜(しかはま)」はその昔「シシハマ」と発音していたようです。校長室に保管されている「光陰矢の如し」(鹿浜 清 著 文芸社)という書籍には、次のように書かれています。
「私が(著者)子供だった頃、生家の周囲は田園地帯で、何軒かの農家が点在し、あとは田畑と池沼があるだけだった。(中略)家庭にも村社会にも、人情や思いやりの心が生きており、人々は皆助け合い、面倒をよく見たものである。」
また、今でも地域に根付いている「押部(おしべ)」「糀屋(こうじや)」「古内(ふるうち)」「島」(しま)などの地名は、江戸時代に書かれた「新編武蔵国風土記稿」にも示されているそうですから、この地を愛する人々が、この地を文化を大切に引き継いでいる様子を、地名からも伺うことができます。
先週お伝えした「地域と共に」。その心は、今よりはるか昔から、この地域に根ざしているのだと知ることができます。
明日は「校歌」。
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