昨日の日記に「もしかすると日本人全体の思いやりの心が試されているのかも」という文章を掲載しました。
放送朝礼で話したときには意識をしていなかったのですが、「試されている」という言葉を使うと思い出す言葉があります。
ためされている
苦しい時 ためされている
つらい時 ためされている
きつい時 ためされている
大変な時 ためされている
何か起きた時 ためされてる
怒られた時 ためされている
失敗した時 ためされている
仕事を与えられた時 ためされている
もう10年以上前になるでしょうか。就職を希望する生徒数名を連れて、紹介されたいくつかの会社を回っていたときに出会った言葉です。
ある建築現場の事務所に入るとこの言葉が大きく掲示されていました。現場の所長様に「学校でこの言葉を使わせていただきたい」とお願いすると快諾していただき、わざわざプリントアウトして持たせてくれました。
誰かに試されている、という訳ではありません。恐らく、自分自身が自分自身を試している。自分自身が自分自身に試されている。そう思って大切にしてきた言葉です。
私自身も、このコロナ禍において、しかも副校長として勤めていた学校で、そのまま校長に昇任させていただいたのは、試されているのだ、と思っています。
今は「何かが起きた時」と「仕事を与えられた時」かな…。
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