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写真左:伝承館入口 右:2019年当時の大川小学校
生徒の引き渡しが完了し職員室へ戻った時には、日付はすでに変わり、深夜1時になろうかという時間でした。そんな時間でありながらも、まだ数名の先生方が職員室に残りテレビから情報を得ながら対応に追われていました。
テレビには津波の映像がくり返し映し出されていました。その情報を知らなかった私は、学校に残っていた先生に「これは何?」と聞いたことを覚えています。東北地方は大変なことになっていることを初めて知った瞬間でした。
2019年5月に東北地方を訪れたことがあります。宮城県気仙沼市の高校が被災当時のまま震災遺構「伝承館」として見学できるようになったとニュースで知ったからです。その建物自体は遠くから見ると全く被害を受けたようには見えませんでした。しかし近づくにつれ、津波の恐ろしさを感じずにはいられませんでした。
校舎内に入ると、津波の爪痕が至る所に見られます。「ここまで水があがってきたのか」「こんなところに自動車が…」。
当時の様子を知ることができる、そして後世へ語り継いでいくための貴重な資料なのだと思いました。
多くの小学生と教員が亡くなった小学校にも立ち寄りました。尊い命は戻ることはありません。しかしこの小学校も、東日本大震災を未来に語り継ぐ役目を担っていくのでしょう。
伝承館に話を戻します。様々な資料展示の中に「階上(はしかみ)中学校 卒業式 答辞」の映像がありました。震災直後、まだ避難生活が続く中で行われた卒業式で、代表生徒が必死になって涙をこらえながら答辞を読み上げています。当時その映像をニュースで見た私は涙をこらえることができませんでした。映像は今でも動画サイトで見ることが出来るようです。その内容は「あの日」を全て物語っている、と思っています。明日その全文を紹介して「私のあの日」を終えようと思います。
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