本日の1時間目に、3年生に向けて進路講話を行いました。かねてより3学年服部学年主任から依頼をされていましたが、3年生自身には講師が校長であるとは知らせていいなかったとのこと。20分という短い時間ではありましたが、みんな真剣に聞いてくれていました。
今日はその資料の一部を紹介しましょう。
「スマートフォンの普及によって、世界50億人の脳が直接つながるとようになった。当然、人間に要求される能力も変化した。例えば、今までは「白色が基調の商品は何ですか」という問いに、できるだけ早く、たくさん答えることが求められた。しかしこれからは「白色を黒に変えたらヒットする商品は何ですか」という問いに答える能力が要求される。もちろん正解はない。正解のない問題に対し、情報を編集して「納得解」を作り出す能力が必要なのだ。(全日本中学校長会編集「中学校」令和2年7月より引用)」
この文章と似た内容を最近よく見かけます。これから必要となる力は、正解をできるだけ早く見つけることではない、というのです。簡単に言うとこうなります。
問)1+1=
正解)「2」です。それ以外はありません。この計算を素早く正しくできる力も大切ですが、これからは、
問)「1+1=2」にならない場合として、どのようなことが想定できるか、考えてみましょう。
正解) 正解はありません。
皆さんであれば、この問いにどのような答えを出すでしょうか。ここでは割愛しますが「私はこう考える」という話を3年生にはしました。こうしたことを考える力がこれからは求められる、というのです。
でもこれは「今までの時代にはなかった力」なのでしょうか。そうではありません。
実は進路選択こそ『正解のない問題に対し、情報を編集して「納得解」を作り出す』こと、そのものだと思っています。
私(校長)は…
★幼稚園児のころ、「八百屋さん」になりたいと思っていました。
★中学3年生の時の担任の先生に憧れて「先生になりたい」と思いました。
★都立高校の普通科に進学しました。普通科を選んだ理由は…何となく、です。
★高校時代、英語がしゃべれるようになって、通訳になりたいと思いました。
★スポーツ(体育)も好きでした。
★大学には行きたい、と思っていました。理由は「まだ働きたくない」から。
★だから英文科の大学と、体育の先生になるための大学を受験しました。
★その結果、先生になるための大学に進学しました。理由は「他は全て不合格でした」から。
★体育教師になりました。いつの間にか副校長になり、そして今、校長先生になりました。
八百屋さんにならず、通訳にもならず、生涯体育教師の道からもはずれ、校長になった私。
果たして私の人生は「正解」なのでしょうか?
続きは明日。
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