昨日行った、3年生向け進路講話の続きです。(※上の写真はその時の様子)
幼稚園児の頃には「八百屋さん」になりたかった私。それが今、校長先生になっている。これは「正解」なのか…(8月3日付「校長日記」より)
振り返ってみても、歩んできたこの道が「正解」であったのか「不正解」であったのか、私には未だに解りません。もし「八百屋さんになっていたら」「通訳になっていたら」…。
進んできたこの道を「正解」や「不正解」で表すことは、到底できません。
言い換えると、「成功」や「失敗」という言葉で表すこともできません。そもそも「正解」がないのですから「成功」も「失敗」もそこにはない、と思っています。
話を高校進学に戻しましょう。
例えば「第一志望校に合格すること」は「正解」でも「成功」でもありません。もちろん不合格なったとしても、それが「不正解」だったり「失敗」にはなりません。「えっ?」と思うかもしれませんね。
なぜかというと、仮に第一志望校に合格しても、入学後に「こんなはずではなかった。この高校は自分には合っていない」と退学してしまったとしたら、それを「正解」や「成功」と表現してよいのでしょうか。(※もちろん、我慢して通うより、思い切って退学して新しい道に進むことの方がよい場合もあります)
逆に第一志望校に不合格となり第二、第三志望の高校に進学したとしても、そこで充実した高校生活を送ることができたとしたら、それを「不正解」だとか「失敗」などという言葉で表現してよいのでしょうか。
進路選択とは『正解のない問題に対し、情報を編集して「納得解」を作り出す』こと。生きていくこととは、この作業の繰り返しだと思うのです。
講話が終わった直後に、ある生徒が紙面でこんな質問を投げかけてくれました。
「高校は、行きたい高校を選ぶべきか、それとも高校を卒業した後の進路実績で選ぶべきか」
すごい!と思いました。これぞまさに正解のない問題です。校長日記を読んでくれている本校の先生たち!あなたならこの問いにどんな納得解を提示しますか?3年生は確実に「考える力」を身に付けつつありますよ。
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