本校は人権尊重教育推進校の指定を受け、人権教育に力を入れています。東京都教育委員会が掲げる人権課題はたくさんあるのですが、「性同一性障害」「性的指向」に対する差別や偏見もその一つです。その取組の一環として先週は、2年生が「多様な性」についての授業を行ったのですが、時を同じくして大変興味深い記事が東京新聞に掲載されていましたので一部を紹介いたします。
冒頭には、次のような様子が紹介されていました。日本で開催される舞台公演の告知記事で、出演する俳優さんが「またオカマ役がきてしまった」とコメントしたそうです。最後は「頑張る」という締めくくりだったようですが、この記事の最も興味深かったのはそれと対照的に紹介された次の内容です。
『20年以上も昔、(中略)名優パトリック・スチュアートはゲイ役を演じることを「名声が傷つく」と案じた知人に「殺人者の役の時には心配しなかったのに? 今の私はゲイの友人たちに恥ずかしくないようにこの役を演じ切るだけだ」と一蹴しました』(東京新聞 2020/9/18より引用)
差別や偏見の最も恐ろしいことは、それを本人が自覚していないことが多い、ということです。「またオカマ役が…」というひと言には、恐らく差別や偏見の意識はなかったのではないでしょうか。私たちには、いつの間にか「普通だ」と刷り込まれていることがたくさんあります。それが実は偏見だったりすることも多いのです。だから自分の言動が差別や偏見であることに気がつかない。こうしたことが私たちの身の回りにはあるのです。だから私たちはそれについて勉強をしています。これが人権尊重教育推進校の取組です。
この取組をはじめた当初、講師としてお招きした先生の話が私は今でも忘れられません。「人権感覚は常に磨き続けなければ劣化する」。学び続け、磨き続けることの大切さを教えていただきました。
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