私は「女性」ではありません。日常生活を送る上で困難になるような「障がい」はありません。同和問題(部落差別)に悩まされることもなく、日本にいる限り「外国人」として扱われることもありません。偏見をもたれるような「疾病」もなく、「性的指向」もおそらく少数派ではなく多数派であると思っています。
「 」に掲げた言葉は、東京都が人権課題として掲げているものです。先週参観をしてきた江戸川区立大杉第二小学校の人権尊重教育推進校研究発表会では、こうした差別や偏見を考えるうえで、「少数派=マイノリティ」を理解することよりも、「多数派=マジョリティ」が、いかに無意識のうちに「特権」をもって生活をしているのかに気付くことの方が大切だと教えてくれました。
私が「男性」であることは、私自身が努力した結果として得たものではありません。裏を返せば「女性」であることや「障がい」があることなどは、その方の何かが原因で起きることではないのです。しかし社会の構造(仕組み)や制度、文化などが原因でいつの間にか差別をされてしまうことがあります。
マジョリティが有する特権から人権を考える。
昨日もお話ししましたが「マイノリティを理解する」ことから人権を考えることには限界があるようです。「このままでいてはいけないのですか?」に、誰もが「いいのですよ」とはっきり言えることが人権を理解する第一歩のように思っています。
難しいですね。だからこそ学ばなくてはいけません。
明日はもう少し身近な「学校の中の人権」です。
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