今日は人権デーです。
さて学校で最も人権を侵害される行為と言えばやはり「いじめ」でしょう。先日「教育新聞」に小学校では「あだ名」を校則で禁止する学校が増えてきている、という記事が紹介されていました。皆さんは「あだ名」についてどのような考えをもっているでしょうか。
あだ名をつけることで親しみを感じたり、友達との距離がぐっと近くなることがあります。私は長くバスケットボールに関わってきましたが、高校や大学などのバスケットボール部では、全員に「コートネーム」をつけ、試合中に限らず日常生活においても「コートネーム」で互いを呼び合うような習慣があります。これは他のスポーツにも共通するのかもしれません。こうした文化も「仲間意識を高める」ための方法としてはよいものなのでしょう。
一方で、自分はあまり好きではない、本当はそう呼ばれたくはない「あだ名」をつけられてしまうことがあったりします。特に自分が思い出したくないようなことを連想させるあだ名をつけられてしまうと、その言葉を毎日浴びせられることになりますから、そのストレスは計り知れないものになります。
また仲の良い友達に呼ばれるなら気にはならないけど、あまり親しくない仲間らか呼ばれるとよい気持ちはしないこともあります。「あだ名」は親しみの証であるとともに、人を傷つける武器にもなるものなのかもしれません。
大切なことは「あだ名の賛否」が焦点になってはいけないということだと私は思っています。あだ名が悪いのではありません。悪いのは「いじめ」です。この視点がずれてしまうと本質を見失うことになります。いけないのは「あだ名」ではなく「いじめ」なのです。
少し話がそれますが、今週の朝礼で私から「『死ね』という言葉に不快な思いをしている人がいる。どのような理由があってもこの言葉は絶対に使ってはいけない。この学校、地域からこの言葉をなくそう。これは必ずできること」という話をしました。
あだ名には賛否があるかもしれません。しかしこの言葉を遣うことに賛否はありません。これは「絶対にダメ」、です。
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