鹿浜菜の花中学校

校長日記

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2021年1月19日(火)
対岸の火事

(昨日の内容から続く)
阪神淡路大震災が発生した1995年1月17日早朝。

地震のニュースが気になりながらも「遠い場所での出来事」という感覚のまま出勤した私。職員室に到着すると、当時主流であったブラウン管テレビの前に数人の先生が集まり、ニュース映像を見ていました。いつもとは違う職員室の光景に、私もその輪の中に入り映像をみて驚きました。夜が明けて明るくなった関西地方の様子がヘリコプターからの上空映像で映し出されている。市内のあちこちから火の手が上がっている様子は、まるで特撮映画のようでした。「市内ではたくさんの火災が発生している模様です。怪我人も大勢出ているという情報が入っています。」というアナウンスとともに映し出される映像を見て「ただ事ではない」と思いつつも、まだこの時には「対岸の火事」としか思えていなかったように記憶しています。

「対岸の火事」としか思えなかった。それには理由がありました。
私は翌日、1995年1月18日から5日間、学校を休み入院する予定だったのです。
私は骨髄バンクにドナー登録をしていました。適合者がいることがわかってから、約半年にわたる準備期間を終え1月20日に骨髄を提供する手術をうけるために入院をすることになっていたのです。

その前日に阪神淡路大震災は発生しました。

この日の私は、自分の骨髄提供手術のことで頭がいっぱいで、それ以外のことは「対岸の火事」としか思えなかったのでした。
(明日へ続く)