鹿浜菜の花中学校

校長日記

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2021年1月20日(水)
健康だけど入院

阪神淡路大震災発生の翌日。

1995年1月18日。私は骨髄提供のため、都内の病院に入院しました。入院は初めての経験です。とは言っても、自分自身が病気にかかっていたり、怪我をしている状況ではありません。むしろドナーと決まってからは健康を崩すわけにはいかず、人一倍体調管理には気をつけて生活を送ってきました。だから、いたって健康体。大きな病院でしたが「健康な入院患者」は、そうはいなかったでしょう。

簡単な健康診断を終えて病室へ。さて、ここからが困りました。やることがない。元気な身体で入院をするというのは、なかなか大変なものです。やることもないままテレビをつけると、どのチャンネルからも「阪神淡路大震災」の被害の様子が流れてきました。確か前日は「多くの家屋が倒壊し、たくさんの火災が発生している。大勢の怪我人も出ている。死亡者、行方不明者も…」という漠然とした情報だけだったのに、今日は「死者〇〇名以上」という、かなり具体的な数字が報道されるようになっていました。しかしこの情報も不確かなもので、時間が経つにつれその数字が刻々と増えていくのを、ただ見守るだけでした。

その時、ふと我に返りました。

入院してやることもなく、テレビ報道をずっと見ていてもなお「関西で起きた対岸の火事」としか捉えられていなかったのですが、これが「関西地方」ではなく「神戸」だと改めて認識した瞬間、「はっ!」と気がつきました。

私の高校時代の友人が神戸の大学に進学し、そのまま神戸に住み続けている!

阪神淡路大震災が「他人事」ではないことを、初めて実感した瞬間でした。
(明日に続く)