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上の写真は「阪神淡路大震災」から約1ヶ月後の神戸市内の様子です。
1月の校長日記で「阪神淡路大震災」のことについて触れました。その時にも書かせていただいたのですが、当時私の友人が神戸に住んでいました。「何か手伝うことができないか」と連絡をすると、「親戚が住むマンションが倒壊寸前で住める状況ではなく、家財道具を運び出したいので手伝いに来てくれないか」と言ってくれました。本来であれば神戸まで新幹線で一本のはずでしたが、この時はまだ名古屋までしか行くことができず、そこからは在来線を使い、かなりの遠回りをして神戸に行きました。
その時に写した写真が上の写真です。1995年2月12日。26年前の今日、神戸の街はこのような状況でした。
日本において「ボランティア」や「炊き出し」など、被災地支援が本格的になったのはこの時からだと言われています。震災からすでに1ヶ月が経過しようとしているのに、水道はほとんど止まったままでした。幹線道路のいたる場所にはゴミが山のように積まれています。主立った学校施設は全て避難所となっていて、校庭には数え切れないほどのテントが設営されていました。
写真の赤丸の中には、床屋さんの外壁に設置されていた時計が写されています。見えにくいかと思いますが、針は5時46分過ぎを指しています。震災の発生時刻で止まったままでした。
そうした状況にありながらも、多くのボランティアの方々が炊き出しをして食事を提供したり、がれきの撤去作業を手伝っていました。関連死を含めると6000人以上の方が亡くなった一方で、人々の生きる力を感じずにはいられませんでした。
もう一枚の写真の左に写っている男性は、私の友人です。元気な姿を見たときには、本当に涙が出そうになりました。
あと1ヶ月もすると、今度はあの日がやってきます。3.11。東日本大震災です。
私たちが忘れてはいけない日。大きな被害があった被災地からは遠く離れた場所にいたけれど、経験したことを語りつがなければいけないと思っています。
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